ビレーピン

修平ちゃんが今 一生懸命磨いているビレーピンのお話し
遠い昔 仏国と英国が戦をしていた18世紀
小説ホーンブロアーが大活躍をしていた帆船時代
大英帝国が船員不足を補うために 合法的に許した
プレスギャング(強制徴募隊)港町の悪役たちです
帆船からパブなどに出没して有無を言わさず捕まえて 船に連れてゆきます
彼らの手に握られていたこん棒の代わり それがビレーピンです
捕まると家に帰れないです

ビレイピン このようにロープを束ねます
各種 多様なロープを駆使して多数のセールを操る帆船で
ロープエンドを調整して クリートをしてロープを束ねる大切な艤装品です
使用方法 ビレーピンを上に抜けば 一瞬でロープがフリーになります
簡単ですが なかなかの優れモノです
帆船のロマン溢れる艤装品
ヨットマンの憧れる備品なんです

束ねたロープが無いでしょう
括り方は簡単です聞きに来てください
でも 教授料ビール1本必要です
パンチョ
菜の花の沖

小説 菜の花の沖 〈三〉 司馬遼太郎 からの引用
室町のころの十三湊は、
嘉兵衛のころでも想像がつかぬほどに殷賑(いんしん)の湊であったとされる。
日本最古の航海上の法として室町期にできた[廻船式目]があるが、
この中に、海内(かいだい)の有力な港を十個所上げ、三津(さんしん)七(しち)湊(そう)とよんでいる。
三大海港[三津]は泉州の堺港、筑前の博多港、伊勢の安濃津(あのつ)であり、
それにつぐ七大海港[七湊]は
越前三国(みくに)、加賀の本吉(もとよし)、能登の輪島、越中の岩瀬、越後の今町、出羽の秋田、それに西津軽の一三(とさ)湊がって入っている
堺 港のヒストリー
クリエイションのホームポート堺港は
港として古く 遠く昔は日本の要港の一つとして栄え
三大海港泉州 堺港と呼ばれ
日本海が花形航路の 北前船の時代
花形航路が太平洋航路に移って 樽垣廻船の時代
太閤さんが天下人で この世を思うがままに過ごした黄金の日々の時代など
時代時代の曲がり角を華やかに歴史の表舞台に織り込んできました
クリエイション ヨットハーバーは由緒ただしい大変な港でございますョ
平成の堺港 どのようになってゆきますか
私も聞いてびっくりしましたが
大正時代の大浜海岸浜は
日本民間航空機の発祥の地で
水上機が四国 白浜などに飛んでたとのこと
ハイカラですね
飛行艇には夢がいっぱいあります
赤い飛行艇 をヨットハーバーに係留する時が来るかもしれません
でもライセンスが無いから飛べない豚です
パンチョ